動画で殺すことを撮る行為に思うこと
改めて残しておこうと思い転載します
「ネズミやゴキブリなら良いのでしょか?
昔、ネズミ捕りを沈めてたりしましたよね?。」
というコメントに私の思いを書きました
蚕産業など、猫はネズミを釣るために人と暮らし始めました、犬は番犬として
今はアニマルセラピーとしても人と暮らす身近な動物となりました
ただ増やしすぎたり、人間のエゴで形を変えられたりと悲しい現実もあります
自然形体を壊すために狩りで頭数制限で命を頂くことも必要でしょう
ネズミもわざわざ沈めて殺していたのですか?それはしりませんが、長い時間苦しめて殺す必要はあるのでしょうか
ゴキブリにしても菌の繁殖防止に駆除は必要でしょうが、わざわざ、動画を撮ったり、その苦しむ姿を見ることは殺すことへの快感に思っているとしか私にはおもえませんが、でもさんには、その行為には違和感を覚えないでようか?
人それぞれ、感じ方は違うのでしかたがないですが
最近、また猫を切断する事件が続いていますが
人はここまでの生き物なら殺す快感を得てもいいと考える人が多いようです
どんな命でも、奪う時はそれなりの敬意が必要ではないでしょうか?
増やしすぎた原因が人間ならそれを止める知恵を、殺処分も早くガスで15分も苦しめるのでなく注射での安楽死の社会を望みます、そしてすぐに殺すでなく増やさない活動、それはすべての生き物に対して、長くなりましたが
動画を撮り死にゆく姿を眺める行為には
私は異常者としか思えないです」
人はそれぞれの考え方があります
でも観光の為増やした鹿であったりペットで増えすぎた犬猫であったり
ただ処分でなくもっと増やさない、方法を考える社会であってほしい
殺すことばかりになれた人間が今、異常者を増やしているように思う
気づかないうちに
安易におこした事件かもしれないが、それを安易にすませば
人はもっと残酷になる気がします、
最近は他で切断して目立つ場所に置くという事件が神戸大阪
滋賀では1月にサッカーゴールネットに首吊りで猫が下げられていた
去年は切断
先月は埼玉で学校のウサギの惨殺、
公務員の携帯電話に猫を燃やす動画・・・と、それらは
猫だから犬だからの安易な命の扱いの社会の仕組みのように思えます
そのことが無くなる社会になってほしい、それが私の思いです