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小学生レポート「猫の保護活動について」

2010年09月15日

敬老の日

私の母方のおばあちゃんは長い認知症の上に亡くなりました

最後に会った時は

「すいませんが、お兄ちゃんが待っているので部屋まで連れていって下さい」と

私を施設の職員と思って話しかけたのが最後でした

なかなか田舎に帰ることがなかった私は

ちゃんと覚えてもらっていたのは

この最後に会った3年前に帰った時に

髪を切ってあげたのが最後です

おばちゃんは

「しょうこちゃんが来てると聞いて会いたいと言ったら、連れてきてくれた、有り難い、有り難い」

カットの最中に5分置きには話しかけて来ました

私も「私も会いたかったよ」と何回も繰り返し話し続けましたが

私は心の中で「ごめんね、会いに来なくて

本当は何回もそう謝っていました

でもそれからも会いには行かなかった私・・・

ただ、生活に追われていた・・・でも言い訳だな

亡くなって思った、なんでだろう、あんなに好きだったのに

歳を重ねるごと会わなくなって、もっと話してあげたら良かったって

そして、おばちゃんは子供になって死んだ

いないはずの、「お兄ちゃんが待っている」と言ってはだだをこね

「私のオニギリ、盗った」と言っては暴れたらしい

自分の子供の顔もいつしか忘れ、ただキレイな物を見ては喜び

お腹が空いてはご飯を食べ、子供の頃の思い出の中で生きていたそうだ

最後は自分の子供に囲まれ死んでいった

それは神様がくれたご褒美だったのか?

最高の幸せのようにも思います

私は小学校まで夏休みも冬休みも春休みも

おばあちゃんの家に行きたがり泊まりました

そしていつも一緒に寝ました「

古い家でトイレは外にあったので

12時に柱時計の「ボーン」と言う音が鳴ると

おあばちゃんは私を起こしてトイレに行きました

暗くて怖いけど、おばちゃんと行くのはなんだか嬉しかった

そして、寒い日はいつも股の間に私の足を挟んで温めてくれた

なんとも安らぐもので

おばあちゃんと寝る時は本当に安心して眠れたものです

いまでも、あの挟まれた時の「ぬくもり」は

忘れられません

今思うと子供の頃に感じたぬくもりは大きな宝です

そして、後悔する気持ちも宝となりました

私も「ぬくもり」を誰かに伝えなくてはいけないと思います

それが、おばあちゃんにしてあげられる

最大の贈り物と思えるのです

そして、それが人であっても動物であっても

小さなぬくもりであったとしても・・・

もう「ボーン」と12時を知らせても

寒さに凍えそうでも

支えてはもらえません

私は大人になって今度は送支える立場になったのでしょう

まだまだ弱く、自分の事で精一杯だけど

「ゆくもり」を教えてもらったから頑張らないと

そして子供になったおばあちゃんを

支えてあげられなかった後悔を忘れず生きていこうと思います

敬老の日、年老いた人も動物も子供になって

あなたの「ぬくもり」を待っています

忘れないで、あなたが支えてあげなくてはいけない事を・・・



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